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東京高等裁判所 昭和53年(ラ)691号 決定

抗告人 金田王白石

右法定代理人親権者 金田啓也 外一名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一  本件抗告の趣旨は、「原審判を取消し、申立人の名『王白石』を『碧』と変更することを許可する。」というのであり、抗告の理由は、別紙の抗告理由書のとおりである。

二  よつて、次のとおり判断する。

1  本件記録によると、抗告人は、昭和四六年九月一一日、スペイン国マドリッド市において出生し、抗告人の親権者らにおいて「碧」(「みどり」と読む。)と命名したが、この「碧」は、戸籍法施行規則六〇条所定の当用漢字表、人名用漢字別表及び人名用漢字追加表のいずれにも掲げられていない文字(以下、右諸表に掲げられている文字を「制限文字」といい、掲げられていない文字を「制限外文字」という。)であるため、戸籍係(在スペイン国大使)に出生届出の受理を拒否され、やむなく同親権者らは「碧」の文字を筆順に分解した「王白石」を抗告人の名として出生届出をし、その改名を将来に求めることとし、以来、抗告人は、戸籍上の名とは別に、通名として「碧」を使用していることが認められる。

抗告人の右戸籍上の名である「王白石」が、女子の名として甚しく珍奇、難読であることについては、原審判も認めるとおり、異論はない。問題は、右「王白石」を、制限外文字の「碧」という名に変更することが、戸籍法一〇七条二項の「正当な事由」にあたるかどうかということである。

2  まず、抗告人は、出生届出の際の子の名には、戸籍法五〇条及び同法施行規則六〇条所定の制限文字を用いなければならないとの制約を受けるが、同法一〇七条二項の名の変更の場合には、右規則六〇条の制約は受けない旨主張する。

しかし、元来、人の名は、個人の同一性を表現するものとして、公的・私的な社会生活上のあらゆる部面において用いられるのであるから、多くの人々から正しく読まれ、かつ、書き易い文字であることが、公益的見地からも必要とされ、また、戦前、人の名には難読難解な文字を用いることが往々にしてあり、そのため自他の被る不便、不利益が多々存したことにかんがみ、戦後の戸籍法の改正に際し、同法五〇条一項に、新たに、「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。」旨規定し、この規定を受けて、右規則六〇条に、常用平易な文字の範囲を掲げるに至つたのである。この立法の趣旨は、同法一〇七条二項の名の変更についての「正当な事由」の有無の判断に際しても、当然尊重すべきものであり、したがつて、制限外文字への名の変更は、右趣旨から、本来許されるべきものではないと解するのが相当である。このように解さなければ、本件事案のように、故意に珍奇難読の名をつけて出生届出をし、これを理由として家庭裁判所に改名の申立をすることによつて、右戸籍法五〇条の趣旨を没却させるおそれがあるからである。ただし、制限外文字を用いた通名を十数年以上にもわたつて使用し、右通名が社会一般にも知れわたり、右通名を戸籍上の正式な名としなければ社会生活上にも著しい支障を来すような状況にまで達し、しかも、右通名に用いられている制限外文字が常用平易な文字の概念から著しく逸脱していない場合には、例外的に、改名の正当事由にあたると判断することもありうるものと解する。

ところで、本件の場合には、抗告人は現在満七歳であるから、抗告人が通名として「碧」という名を使用したのも七年間余に過ぎず、また、右通名が通用するのも社会のごく一部でしかなく、右通名を戸籍上の正式な名としなければ社会生活上にも著しい支障が生ずるという段階にまで達しているとは認められない。したがつて、前記「王白石」という戸籍上の名が珍奇、難読であるとの事情を加味したとしても、制限外文字を用いる「碧」という名への改名を認める正当な事由が存在するとまでは、未だいいえないものというべきである。更に、抗告人の親権者らが、抗告人に「碧」という名を与えたいという切なる願いのあることは十分に理解できるところであるが、現在小学校一年に在学中の抗告人自身が、今後生涯「碧」という制限外文字の名を使用しようという意思の定着性があるかどうかについては、未だ不確定の状態にあるというべきである。再度の改名が極めて厳格であることを考え合わせると、右の点からも、現在の段階における改名については、消極的にならざるを得ない。

3  次に、抗告人は、「碧」の文字は難解な文字ではないとし、その例として、碧南市、碧眼及び女優金澤碧の名を挙げている。右のほか、碧空、紺碧等の用法もあるから、右「碧」の文字は、制限外文字ではあるが、常用平易な文字の概念から著しく逸脱しているとはいえないものと解せられる。しかし、右女優の名は別として、その読み方はいずれも「へき」であるから、社会一般の大多数の者が、右「碧」の文字を見て直ちに「みどり」と読みうるかということについては、若干の疑問が存する。誤読による不快感から解放されたいとの理由で改名の申立をする者があることを考え合せると、この点からも、前記抗告人自身の意思の定着性を待つのが相当である。なお、俳優の場合には、故意に難読の芸名をつけ、それによつて、却つて人目を引こうとする意図のあることがあるから、参考にはならない。

4  その他、本件記録を精査しても、原審判を取消すべき違法の点は見出せない。

三  以上の理由により、本件抗告は結局理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 枡田文郎 裁判官 日野原昌 佐藤栄一)

抗告理由書〈省略〉

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